人の命を左右する大罪。
住民が多数いる沖縄に敢えて敵軍を上陸させ、最後は占領されると知りながらなるべく長く留めようとする。この計画には「住民を守る視点」がまるで無い。上陸の後、読谷のガマなど各地で強制集団死(集団自決)の悲劇が発生した。それもまた軍の方針の反映だ。「軍官民共生共死」である。(琉球新報)
— 笹田 惣介 (@show_you_all) 2015, 4月 2
権力とは信じるものではなく、常に監視するものである。国家や企業の存亡に於いて、優先順位の一番最後が国民であり社員なのだ。
しかも、国家とは国家そのものではなく国家中枢に坐る権力者を意味し、企業とは企業そのものではなく社長や一部の役員を意味する。
沖縄は、まさに差別と蔑視の象徴である。戦後70年、本土の人間は沖縄人を、同じ日本人とは見てこなかったと認めざるを得ない。その苦痛は想像を絶する。同じ人間として見てこなかったと云っても過言ではないかもしれない。
そして今尚、沖縄県民の民意が安倍内閣の狂人たちによって芥に帰されている。もはやこうなると、こうした確信犯的な政治屋共は天の呪いを受けるしかないのかもしれない。子々孫々に亘って弱者が流した血の涙と、骨肉を引き千切られる苦痛、その千倍を未来永劫に受け取るべく。
政治屋共が分かったようなことを言う前に、同じ状況を東京につくってみろと云いたい。おそらく東京都民の99%は猛反対するはずだ。その猛反対は沖縄県民の苦痛とイコールなのである。それを分かりながら放置するとは、もはや人間の所行とは云えない。