HinotoYasuakiraの感じたままに

真の主権国家たれ。真の平和国家たれ。真の平等国家たれ。真の自給国家たれ。

獰猛な虫けら

問題提議の起点と動機が同じかどうかは分からないが、この者たちの意見にも一理ある。ただし、従軍慰安婦問題に関して、日本政府は一貫して軍の関与を否定し、商売人への責任転嫁を図っているが、水が下から上に流れないのと同様、その主張を通すには “証拠の有無に関係なく” 無理がある。

その上で、この学者らしき者たちにも一理あるとしたのは、「当時の価値観から見てあり得た現象、他の国にもあった現象をもって日本を批判する態度は公正と思わない」という小学生のようなオブジェクションにも本質的な意味が見て取れるからだ。

ただ、小生がこの者たちに限界を見るのは、自らを正す以前に、他国も同じことをしているのだから日本だけが責められる筋合いはないという、実に堕落しきった見識を振りかざしていることにある。そもそもこの手の連中の脳みそは、日本はすべて正しいという分裂病質的な思い込みに支配されているのだろうが。

戦争とは、一言で言うなら人を殺すことである。人を殺す環境に放り込まれた人間に、一体いかなる人道的なルールが拘束力を持つというのか。叩き、潰し、犯し、奪い、捨て往くことこそがその環境では常識であり評価される対象なのだ。そこには民族や国家、宗教の違いなど微塵も介入し得ない。戦場に於いては誰もが獰猛な虫けらになるのだ。

そんな戦争から一転して平和な社会に変わると、人間はかつて自ら手を染めた悪行ほど隠したくなるのが感情というもの。従軍慰安婦問題は、ちょうどそういう意識の中で国と貧困な精神に塗れた民辱主義者たちに化粧直しされ弄ばれているにすぎない。

人間として絶対に忘れてはならないことがある。過去に目を閉ざす者は、正しい未来にも目を閉ざすと、どこかの国の有名な演説にも残されている。

いまこの日本はまだ戦場と化しているわけではないが、よく見ると自殺者、他殺者、事故死者、病死者、変死者等々、かの戦時中よりも毎年大量の死者を吐き出す狂った社会になっている。

一見平和そうに見えるが、実は我々は戦場と何ら変わらぬ常軌を逸した社会に生きているのであって、気づかぬままに誰もが「獰猛な虫けら」になっているという恐ろしい現実にある。

一人一人が自らに問いかけるべきである。私も既に獰猛な虫けらなのかと。 かくして自らに獰猛な虫けら性を認めて初めて明日は変わるのであり、変えられるのだ。それができずに学者もへったくれもない。

慰安婦問題に限らず、戦争犯罪は日本のみが問われるものではない。日本を含めた先進国を筆頭に戦争・紛争・テロに荷担した各国は、自らの暴挙で地球を破壊し、人民を支配し、命を弄んだ歴史を明らかにし、二度と蛮行に走らないと国憲を持って誓いを立てることだ。

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