HinotoYasuakiraの感じたままに

真の主権国家たれ。真の平和国家たれ。真の平等国家たれ。真の自給国家たれ。

日本人はマゾか !?

安倍政権とは実に不思議な政権である。戦後これほど国民を虐待する政権はなかったが、なぜか弾劾されることもなく、かくも長く政権与党にふんぞり返っている。そして、その政権をマスメディアも挙って持ち上げ、国民はダンマリ。東日本は既に放射能塗れ、若者は正社員への道を閉ざされ、貧乏人は教育の機会を奪われ、自衛隊は軍隊と化してアメリカの手先と化して戦地に向かうこととなり、国民にとって重要な情報は特定秘密保護法によって完全ブロックされ、国民の暮らしはどんどん貧困化を増し、気がつけば完全に国家の家畜にされている。それでも国民は安倍政権を許し続ける。これをマゾと言わずして何と言えばいいのか。

 

 

松方弘樹氏の訃報を受けて。

高倉健が逝き、菅原文太が逝き、松方弘樹が逝った。梅宮辰夫も危ないと聞く。東映の往年の名優が次々にこの世を去って行く。悲しみは当然のことながら付いて回るが、言うまでもなくこれは人間として生まれた定めなのだから致し方ない。自分に振り返っても死ぬのは理解している。ただ問題はどう死ぬかである。これは言わずもがなで、どう生きるかに通じる。三人に一人が癌に罹る時代である。死を目の前にしたとき、どういう選択をするかが死への道を左右する時代になった。つまり、死を考えるということは医療を考えるということだ。医療と人間の関係は、いま非常に難しい時代に入っている。早期発見、早期治療が叫ばれるが、おそらくこの考え方には大きな落とし穴があると私は考える。医療に携わる者の一人として、人間に与えられた自然治癒力や寿命というものに対してもっと人間そのものの研究を進める必要があるだろう。でなければ、数値がすべてを支配し、命の裏に隠された天命を見誤ることに繫がるのではないかと考える。

 

headlines.yahoo.co.jp

夏の総括〔ii〕by 兵頭正俊

三宅洋平への選挙妨害は、広範囲にわたった。地上波メディアによる意図的な無視から始まって、ネット(ツイッター)による妨害にまで及んでいた。
米国ではまだバーニー・サンダースが許された。しかし、日本では許されないのだ。かれのいう「ステルス支配」の闇権力が、もっとも警戒したのは三宅洋平だったのかもしれない。その圧倒的な動員力、そのカリスマ性、んとうのことを直接大衆へ訴える勇気。……
かれの票は、違った当選者に不正に流されたという指摘も拡大している。
また、これは三宅洋平に限らず、選挙全般に、悪質な意識調査の刷り込み(洗脳)が繰り返された。それは、
(1)「参院選の序盤、中盤、終盤の情勢として流され、改憲勢力が「3分の2」の勢いであり、自民は単独過半数をとる、といった刷り込み(洗脳)であった。
(2)「参院選、各党、投票率低下を懸念 街頭演説盛り上がらず」といった刷り込み(洗脳)も執拗に繰り返された。結局、国民に選挙への無関心と棄権を植え付け
ていた。
(3)北朝鮮・中国脅威の選挙利用があった。日本の国政選挙になると、北朝鮮のミサイル発射実験があり、また中国との軍事的緊張が演出される。これも大きな与党への追い風になっていた。
(4)10代への洗脳・誘導も繰り返された。それは、「自民、比例第1党の勢い…10代の半数は与党
支持」といった露骨な洗脳・誘導である。
きむらゆいは、こんなツイートをしていた。
池上彰特番メッセージ
自民公明は憲法議論を避け2/3を取る戦略に出ました。これから憲法議論をしていかなければなりません。今回18歳19歳の若者が選挙権を得ました。今後は若者たちに託さなければなりません。名曲「若者たち」が流れる」
(引用終わり)
わたしはこの場面をみていないが、池上がこのように語ったのなら、日本の若者に対する、まったくの誤解だといわねばならない。現代の若者は、自分たちが銃をとらされることを知っても改憲に反対しない。だから自民党はかれらに選挙権を与えたのである。
ここで護憲勢力の敗因を述べておこう。最大の敗因は岡田民進党にある。理由は大きくいって次の2点だ。
1 国民は、民進党旧民主党)政権時代の裏切りをまだ忘れていないし、許していない。その民進党野党第一党であり、岡田克也という選挙オンチを顔として闘った。
2 その民進党は選挙前から野党共闘に対して極めて不熱心であり、野党共闘を言い出したのは「生活の党~」と共産党であった。呼びかけがあった後も岡田はずるずると引き延ばし、まるでやる気がないさまを国民に見せてしまった。
民進党にとっての選挙協力とは、端的にいって、民主党の退潮に歯止めがかかればいい、といった極めて卑小な、無責任な、そして中途半端なものであったといっていい。
だから全国32の1人区でも、すべて共産党の献身的で全面的な譲歩によって選挙協力ができたのである。しかも呆れたことに比例区は統一名簿を作らないという党利党略に走った。だからこんな声も挙がった。
「赤色法師」
正直、共産党が独自候補を取り下げなければ、民進党は壊滅状態、共産党は比例でもう少し積み上げられただろう。共産党の決意は一つ、改憲勢力を少数派に追い込むこと。そのために身を削った。民進党、そして連合には、この借りは絶対に返してもらいたい。選挙が終わった深夜だから言わせてもらうけど。
高野敦志
結局、民進党は衰弱していくだけじゃないか。野田元首相を除名にしないからだよ。どれだけの国民が野田元首相が、安倍政権成立に手を貸したと思っているか分からないんだよ。小沢一郎の政治的手腕と手を切った段階で、終わってるんじゃないか。共産党の協力がなかったら壊滅していたよ」
(引用終わり)
こう思っている知識人は多い。
こういった民進党の体たらくは、すべて民進党壊滅のA級戦犯たち(米国・自民党のトロイの馬)が起こしたものである。
今後も野党は、この不人気で尊大な、いつ自民党と取り引きをするかわからない最大野党を顔として闘うことになる。非常に困難な闘いを強いられることになる。
以上の2点が野党の敗因である。
今後、改憲勢力は、野党の改憲勢力である民進党内のA級戦犯に働きかけていくことになるだろう。その方が公明党改憲に乗りやすいからである。旧民主党政権時の「民・自・公」連立の再現である。
もしそれができなかったら改憲勢力のみで発議することになる。
国民を不幸にして喜んでいる総理。そこまでして自分が米国に褒められることしか考えない総理。これは珍しい。
元総理の村山富市が、7月9日にこんなことを語っていた。
「いろんな総理大臣がおりましたけども、この安倍(晋三)さんというのは最悪の総理大臣です。本音を隠して都合のいいことばかり言い、国民をだまして選挙に勝とうと。こんな魂胆を持っている総理は初めてです。私はもうあまり先が長くないかもしれませんけどね、今のような政権が続く限りは死んでも死にきれない気持ちなんですよ。
戦後70年間、朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争があった。日本の自衛隊を使いたかったんですよ。だけど、厳然と憲法9条があるから日本は自衛隊は使えなかった。だから日本は平和を守り、経済は発展してきたんですよ。
それを憲法の解釈を勝手に変えて、自衛隊がどんどん海外に出て戦争ができるような国にしようっていうんですから。(安倍は 注 : 兵頭)こんな本音はこれから先も言いませんよ。現に隠してしまっているでしょ。だけども、(選挙が)終わったらやりますよ。必ず。(大分市での街頭演説で)(「いろんな総理がいたけど、安倍さんは最悪」村山元首相」『朝日新聞デジタル』)

アメリカと日本でこんなに違う「運」に対する考え方

 お金持ちの世界は結果がすべてである。お金持ちになれなかったり、お金を失ってしまったのでは何を言っても言い訳にしかならない厳しい世界なのだ。

 このような世界で生き抜くためには「運」も味方に付けなければならない。運がいいことはとても大切なことなのである。

軍隊では結果がすべて
 まったく分野は違うが、運がとても大事で、結果が出なかった時に言い訳が通用しないとう意味で、お金持ちと戦争はよく似ている。

 軍人の格言に「敗軍の将、兵を語らず」というものがある。「敗軍の将」つまり負けた方の指揮官(リーダー)は「兵について語ってはいけない」というものである。

 兵を語るというのは、負けた理由を兵隊のせいにして、兵隊の数が足りなかったから負けたとか、兵隊の訓練が十分でなかったから負けたとか言い訳をすることを指す。つまりリーダーは、兵隊の能力や補給などすべての面を事前に理解して戦に臨んだのであり、負けたとしたらそれは100%指揮官のせいであるということだ。

 お金の場合には最悪無一文になるか破産するだけだが、戦争の場合には命がかかっている。このような究極的な環境では、絶対に生き残れる人(お金持ちにあてはめるなら絶対に成功する人)をリーダーに据えなければならない。このようなリーダーはどのようにして選抜されるのだろうか?

アメリカ軍と日本軍では「運」に対する概念がこんなに違う
 アメリカの海軍において、戦時における空母巡洋艦の艦長の選抜基準は明確だという。それは「理由のいかんを問わず、今まで船を沈めたことがない人」である(アメリカ軍も普段は結構年功序列だったりするのだが、いざ戦争になると、モードが突然変わる)。

 「理由のいかんを問わず」というところが非常に特徴的だ。
 艦長として能力が高く統率力があるのはもちろんなのだが、事故や偶然のトラブルも含めて船を沈めたことがない人というところが重要なのである。

 というよりも、能力が高く統率力があれば、船を沈める確率はそもそも低くなるだろうし、それに加えて偶然のトラブルもないめちゃくちゃ「運」の強い人を選ぶのである。「あの人は優秀なのに、運が悪くてねえ」というのは一切通用しないということだ。
 
 これに対して旧日本海軍の艦長の選抜基準は、アメリカとは正反対の意味で明確だ。海軍兵学校(海軍のリーダー養成のための士官学校、現在の防衛大学に相当する)での成績である。

 要するに受験勉強が出来て、学校でも成績がよかった人がエラくなる。軍に入ってからどうだったかは関係ない。実際日本軍には、何度も作戦に失敗したり、兵隊を死なせてしまった指揮官が、学校時代の成績が良かったという理由で、責任を取らされずに何度も要職に復帰する例が見られた。

 これは何を意味しているのであろうか?この話を日本は学歴社会だから云々・・という話に矮小化してしまうと、事の本質を見誤る。現実はもっと残酷なのだ。

 牟田口廉也氏。盧溝橋事件を引き起こし、インパール作戦で2万5000人をムダ死にさせても成績がいいのでお咎めなし

本質的な考え方の違い

 アメリカ人は基本的に将来のことは予測できないと考えている。予測してその通りにものごとが進むほど世の中は甘くないと考えている。このため、リーダーには能力があるのはもちろんのこと「運」が良いことを極めて重視する。つまり世界観が厳しいのだ。

 これに対して日本人は、受験の成績でリーダーを決めている。

 このことは、日本人が未来が予測できると考えていることを意味している。受験の成績がよければ、将来起こるであろうトラブルを乗り越えることができる。
 つまり将来起こるトラブルは現時点で想定内の出来事であり、それを乗り越える能力を身に付けるとこが学校というわけである。つまり将来に対する認識が極めて楽観的で甘い。

 この想定内というキーワード、どこかで聞いたことがないだろうか?

 日本人は今でも「精神力では勝っていたが物量で負けた」などと言っているが大嘘である。物量で負けていたのはもちろんのこと、精神面でも大負けだったのだ。原発事故と戦争の敗北には根底に同じ問題が横たわっている。

 もっとも、日本人はそのように理論的に考えているわけではない。単に学歴コンプレックスで権威主義なので、学校の成績で決めるすべてなのだろう。だが意識していないのかもしれないが、その発想は、将来を予見できると言っているに等しいのである。このことを自覚していないところが実に恐ろしい。
 
 話が少しそれてしまったが、アメリカ人にお金持ちが多いのは、このような「運」に対する考え方の違いが大きく影響していると思われる。

 将来は誰にも分からないと思っているので、いつ何が起きてもいいように準備をしているし、変化があることが当然と理解している。
 日本では「運」が良いことを軽蔑する風潮があるが、アメリカ人は逆である。運がよいことを素直に評価し、自分もその運にあやかろうと努力する。運のいい人には実際やお金が集まってきて、そのうちそれは「運」ではなく、本当の実力に変化する。

 これだけのメンタリティがあれば、多くのチャンスをモノにできるのはある意味で当たり前である。我々は日本人なので、アメリカ人になる必要はないし、そもそもなれない。だがお金持ちになりたいと思うなら、アメリカ人の「運」に対する考え方を「素直」に取り入れるべきである。

(出典:お金持ちの教科書)